「多数が正義」とは限らない──少数から始まる正しさ
「多数決で決めましょう」
学校でも、職場でも、あらゆる場面で耳にするフレーズです。
確かに民主主義において、多数の意見を尊重するというのは基本中の基本。
しかし、多数=正義・正解なのでしょうか?
答えは「NO」です。
■多数派が生む「平常」「当たり前」の危うさ
人は多くの人がやっていること、信じていることに安心感を抱きます。
それが「普通」だから、「みんなと同じ」だからと。
でも、その“みんなと同じ”が、思考停止を生んでしまうことがあります。
多数派の意見に乗っているだけで、
本当に正しいのか、本当に必要なのかを考えないまま過ごしていることはないでしょうか。
それはまるで、マンネリ化した日常の中で間違いが見過ごされていく構造です。
■歴史が証明する「少数派の力」
歴史を振り返れば、
「今では常識」になっていることの多くは、当初は少数派の声から始まっています。
ガリレオが地動説を唱えたときも、
黒人がバスの席を平等に使えるようにと戦った人々も、
最初はすべて“少数”だったのです。
つまり、現状を打ち破る“変化の種”は、いつも少数派が持っています。
■少数派になることを恐れるな
多数派でいることは、安心かもしれません。
けれど、それが間違った方向に進んでいると気づいたとき、
声を上げる勇気があるでしょうか?
「おかしいと思ったけど、みんながそうだから」
という理由で、正しさを見逃してはいけません。
少数派になるということは、
孤独と向き合うことでもありますが、そこにこそ本物の信念や勇気があるのです。
■少数派の「火種」を大事にしよう
どんな大きな変化も、最初は小さな火種から。
それを笑う人がいたとしても、
理解されない時間が続いたとしても、
正しいと思うなら信じ続けること。
そして、その少数派に出会ったとき、
その声をちゃんと聴く耳を持っていたいものです。
■まとめ
民主主義では「多数決」がルール。
でも、「多数=正義」とは限りません。
変化をもたらすのは、いつも「少数」の気づきから。
その少数が、やがて世の中を変える“正しさ”になることもあるのです。
自分の考えが少数派だったとしても、
それを理由に黙る必要はありません。
“多数”に迎合するのではなく、自分の信念に正直でいることが、これからの時代に必要とされているのではないでしょうか。